東京地方裁判所 昭和40年(ワ)2216号 判決 1966年7月19日
原告 土田弘
右訴訟代理人弁護士 大庭益
被告 小西昭典
右訴訟代理人弁護士 野島豊志
被告 小西雄二
右法定代理人後見人 仁ノ岡住登
右訴訟代理人弁護士 前堀敏幸
同 香山仙太郎
被告 小西静雄
被告 伊藤信子
右法定代理人親者 伊藤りん子
主文
原告に対し
被告小西昭典、同小西雄二は各自金五三万三三三三円
被告小西静雄、同伊藤信子は各自金二六万六六六七円
および、それぞれこれに対する昭和三一年六月三日から、各完済に至るまで、日歩二銭五厘の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告四名の負担とする。
この判決の第一項は、被告小西昭典、同小西雄二に対しては、それぞれ金一五万円、被告小西静雄、同伊藤信子に対しては、それぞれ金五万円の担保を供するときは、その被告に対し、仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、
「原告に対し、
被告小西静雄、同小西雄二は連帯して金二六万六六六七円、被告小西昭典、同小西雄二は連帯して金五三万三三三三円被告小西雄二は金一六〇万円(ただし、前記のとおり、内金二六万六六六七円については被告静雄と、内金五三万三三三三円については被告昭典と、それぞれ連帯して、また後記のとおり、内金二六万六六六七円については被告伊藤信子と連帯して)
被告伊藤信子、同小西雄二は連帯して金二六万六六六七円および、それぞれ右金員に対し、昭和三一年六月三日から完済に至るまで日歩二銭五厘の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言を求め、請求原因として、
一、原告は亡小西英雄と亡小西弘子を連帯債務者として昭和三〇年一二月一九日、金一六〇万円を返済期限の定めなく、日歩二銭五厘の利息をつけて返してもらう合意をなし、亡弘子に現金一六〇万円を交付してこれを貸与した。
二、右亡英雄と亡弘子は原告に対し、同三〇年一二月一九日から同三一年六月二日までの日歩二銭五厘の割合による利息合計金七万円を支払ったがその後支払いをしない。
三、そこで原告は同三四年一二月二九日付、翌三五年一月一日到達の内容証明郵便をもって亡英雄と亡弘子に対しその到達後二週間以内の同月一五日までに貸金元本一六〇万円と、その後の利息を支払うよう催告した。
四、しかるに、亡英雄と亡弘子は何れも支払をしないうち、亡弘子は同三六年三月一九日、亡英雄は同三九年一二月八日いずれも死亡した。
五、ところで、亡弘子は亡英雄の妻であって、亡弘子の相続人は亡英雄と長男である被告雄二の両名で相続分は亡英雄が三分の一、被告雄二が三分の二であるので亡弘子の原告に対する前記貸金債務については、亡英雄が元金五三万三、三三三円とその利息並に遅延損害金債務を、被告雄二が元本金一、〇六万六、六六七円とその利息並に遅延損害金債務をそれぞれ分割承継した。
六、しかして、亡英雄の相続人は被告ら四人であるところ被告昭典、同雄二は嫡出子であるが、被告静雄、同信子は非嫡出子であるので、その相続分は被告昭典、同雄二はそれぞれ六分の二、被告静雄同信子がそれぞれ六分の一である。よって、亡英雄の原告に対する前記貸金債務については、被告静雄が元本金二六万六、六六七円と、その利息並に遅延損害金債務を、被告昭典が元本金五三万三、三三三円とその利息並に遅延損害金債務を、被告雄二が元本金五三万三、三三三円とその利息並に遅延損害金債務を、原告信子が元本金二六万六、六六七円と利息並に遅延損害金債務をそれぞれ相続により分割して承継した。
七、したがって、被告雄二の原告に対する前記貸金債務中先本金一、〇六万六、六六七円とその利息並に遅延損害金債務については被告静雄の原告に対する前記貸金債務元本二六万六、六六七円とその利息並に遅延損害金債務と、また、被告昭典の原告に対する前記貸金債務元本金五三万三、三三三円とその利息並に遅延損害金債務と、さらに、被告信子の原告に対する前記貸金債務の元本金二六万六、六六七円とその利息並に遅延損害金債務と、それぞれ対応する額において、連帯債務の関係にある。
八、よって、原告は前記元本金一六〇万円と、これに対する昭和三一年六月三日から同三五年一月一五日までの日歩二銭五厘の割合による利息並に同三五年一月一六日から支払済に至るまでの約定利息相当の日歩二銭五厘の割合による遅延損害金につき、被告四名に対し、それぞれ請求の趣旨掲記の如き支払いを求めるため本訴に及んだ。
<省略>。抗弁として、被告雄二訴訟代理人は、仮に、原告主張の如き本件金員授受の事実が認められるとしても、
一、それは亡弘子が個人として借り受けたのではなく、亡弘子が代表し雑貨販売を業とする株式会社丸小百貨店において借り受けたものであるから原告の本訴請求債権は商事債権の譲渡時効によって、遅くとも利息の内入がなされている昭和三四年二月一八日から五年経過した同三九年二月一八日に時効によって消滅した。
二、仮に然らずとしても、丸小百貨店名義の約束手形(甲第三号証)が振出されたことにより、その借主は亡弘子から丸小百貨店に変更され、同百貨店が借主の一員として加わっているのであるから、原告の本訴請求債権は前記一と同様の理により時効によって消滅した。
と述べた(証拠関係省略)<以下省略>
理由
被告本人尋問の結果によって真正に成立したものと認められる甲第一号証(ただし、被告昭典はその成立を認め、被告雄二、同静雄は郵便官書の作成部分の成立を認めている)、証人藤田俊平、同加藤房雄の各証言に原告本人尋問の結果を総合すると、藤田俊平と加藤房雄の両名は、昭和三〇年暮頃当時施行された参議院議員選挙に対してこれに立候補することになったものの、選挙資金に不足をきたしていた亡英雄から、その資金として金二〇〇万円位の金員を至急にどこかで借用調達してくれるように依頼された。
そこで両名は右加藤の友人として、その頃商事会社の経理部長代理をしていた原告にその趣旨を告げて金員の借用方を申込んだ。しかし、原告は当時いまだ亡英雄と面識はなかったが、その社会的地位が高いということやその頃丸小百貨店の重役として経理を担当するなどして古くからの知合いであった加藤の折角かつ熱心な口利きによるものであったことから、多少の無理は押しても手持金により借用すべき分をも加えて相当額の金員を亡英雄に貸与すべく考えたけれども、事の慎重を期して少なくとも亡英雄またはその妻である亡弘子のいずれかと面接することを求め、面接したらその際に直接に金員を手交するということにした。藤田らは早速当時京都に居た亡英雄にこの旨を報告した結果、亡弘子が亡英雄から右貸借についてのすべての権限を与えられて急ぎ上京し、同年一二月一九日前記藤田、加藤ら立会のうえ、<省略>原告から亡弘子に貸金一六〇万円が手渡された。この間亡弘子において連帯債務者になるとか、借主になるとかいう話や、前金員を選挙資金以外の用途に使うというような話はどちらからも出なかったし、その席上では原告は亡弘子が亡英雄の妻で、その旧姓が吉田ということを改めて知った程度であって、右貸借について当時丸小百貨店の社長をしていた亡弘子の地位等を重視したというような事情はなかった。そして、前叙の如き実情や、貸借終了後間もなく弁済できるという話などから右金員については結局日歩二銭五厘の利息を支払うことを約したのみで、返済期日は定めず、また借用証書も作成されなかったが、念のためということで、亡弘子が借用証書の代わりに、亡英雄と亡弘子共同振出し、額面金一六〇万円の約束手形一通を原告に預けた。原告としても金を貸したことの一応の「しるし」という考えでこれを預り、右約束手形において、これが支払いを求めるというような考えはなかったことが認められ、<省略>。
右認定した事実によれば、原告が本件金員を亡弘子に交付したのは、あくまで亡英雄に対し、その選挙資金として貸与するつもりであるところ、亡弘子がたまたま亡英雄から一切の権限を与えられて受領に見えたからに過ぎず、また亡弘子としても、そのためであったことが認められ、これと異なり、亡弘子が自己にその結果が生すべき債務負担の意思表示をしたものとすべき形跡は認められない。そうだとすれば、亡弘子は本件金員についてその借主になったとはいえないし、亡英雄と連帯して本件金員を借り受けたものとすることもできない。
もっとも、亡弘子は本件金員の授受に際して、原告にあて亡英雄と共同して約束手形を振出したことは前認定のとおりであるが右約束手形は、前叙の如く、貸借成立の「しるし」として借用証書の代わりとして預けられるものであることを双方十分に知悉したうえ交付されたにすぎないものであるから、約束手形金債権としての関係はさておき、これをもって直ちに本件金員について連滞債務関係成立の証拠とすることはできない。固より亡英雄との貸借につきその妻として亡英雄と一体の関係にある亡弘子が、亡英雄の代理をしたからといって、これをもって亡英雄と連帯債務を負担すべきものとすることはできない。
したがって、本訴請求中亡弘子において本件金員の連帯関係があることを前提とする請求部分は既にその理由がないことに帰するので、以下単独債務者としての亡英雄に対する部分について、検討することとする。
亡英雄並びにその妻であった亡弘子が原告主張の日時にそれぞれ死亡したことは全当事者間に争いがなく(被告静雄に対する関係においては、明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。)また亡英雄の相続人は被告四名で、被告昭典、同雄二が嫡出子であり、被告静雄、同信子が非嫡出子であることも全当事者間に争いがない(被告静雄に対する関係においては、被告雄二法定代理人仁ノ岡住登本人尋問の結果と弁論の全趣旨によってこれを認める。)。
そうすると、亡英雄は原告に対し、本件金一六〇万円の返還義務を負っているというべきところ、亡英雄が昭和三九年一二月八日死亡し、その相続人が被告四名で、叙上の身分関係にあることは前述のとおりであり、特別の主張立証のない本件においては、被告四名はいわゆる法定相続分(民法第九〇〇条)にしたがい、亡英雄の債務を分割して承継負担すべきこと明らかである。
しかして、本件貸金の利息について、昭和三一年六月二日分までを受領していることは原告の自認するところであるが、前掲甲第一号証、成立に争いない甲第二号証(被告信子の関係においても公文書であるから真正に成立したものと認める)並びに原告本人尋問の結果によれば、原告主張の昭和三四年一二月二九日付支払催告の内容証明郵便は翌三五年一月一日頃亡英雄に到達したものとするのを相当とすべく、したがって、亡英雄はそれから二週間内の催告期間を経た同月一五日頃これが支払いにつき遅滞に陥ったものと考えられる。
よって、被告四名が亡英雄の原告に対する本件債務について承継負担すべき限度を案ずるに、結局亡英雄の嫡出子たる被告昭典、同雄二の相続分は、各六分の二であり、したがって本件貸金債務金一六〇万円のそれぞれ六分の二、すなわち金五三万三、三三三円(円未満切捨、以下同じ)を、非婦出子たる被告静雄、同信子は同じく、それぞれ六分の一、すなわち、金二六万六、六六七円を各分割承継して負担し、被告四名は、原告に対しそれぞれ右金員と、これに対する昭和三一年六月三日から右各金員の完済に至るまで日歩二銭五厘の割合による利息金を支払うべき義務がある。
次に被告雄二の抗弁について考えるに、<省略>。これについてなんらの主張立証もなさないから同被告の抗弁は採用するに由ない。<以下省略>。